2009年07月25日

久々の海

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7月20日に海に行きました。
バスケの練習もバイオリンもなく、もうこの日しかない!とばかりに出発しました。

私はもちろんパラソルの下、男3人は相変わらず”貝拾い”と”砂で堤防”作りです。

海遊びの楽しさ、波飛びとか波のりとか。。

二男はなんとか波飛びを楽しんだけれど、長男君はずーーーっと貝拾い&堤防作り。。

それでもとても二人とも楽しそうでした。

ある意味ショック

先日、とある場所が痒くて婦人科に行った。

よくある感染から来る痒みでお薬を入れて頂いた。

その時に、

そーいえば10年前に入れたリングはどーなってるんでしょう。。

と聞くと、お医者様絶句。

10年間そのまま?!癌の原因にもなるし、今更出そうとしても子宮と一体化しちゃって取れないかも。。。

でも!それより!
内診したとき見当たらなかった気がする。。と。

そして先生は

うーん、困ったな。
年齢が微妙だよな。これが48歳ならもう絶対に出来ないからなんとでも
なるんだけど、まだそれにはもう少しあるしなぁ。あぁ、でも多分今も妊娠しないよな。。。

とブツブツ言っている。

結局今更どーこー出来ないから、48歳まであと数年このままにしておいたらどうか、ということになった。

つーか、もう妊娠しない年齢になったのか。。としみじみ、しみじみ思いました。
妊娠はする気ないけど、したくても出来ない年齢なんだなぁと。。

親の顔が見たい

私の家族に変化があった。

私の二女の妊娠発覚、そして結婚、出産。
それももともと生理不順だったため、妊娠に気づいた時は妊娠6ヶ月を過ぎていた。もう生むしかない。

なのに相手は30歳過ぎてのフリーター。
経歴聞いても、飲食店のアルバイトを2年ほどで転々とするなど、正社員として仕事に就いたことがない。
初めて会った時には、正社員で病院の事務をしていると、嘘さえつかれた。
○○(地名)にある大学病院の事務と言ったが、その病院は○○にはない。場所が間違っていてすぐに私に嘘を見破られてしまった。アホだ。
話をしても、行動が伴わない、口先だけ偉そうな、私の大っ嫌いなタイプだ。

そんな相手を選ぶ娘もそれなりだ。
努力という事をした事がなく、流されて横道にそれてしまうのを、親がなんとか戻して、ようやく学校を卒業し、彼女にはもったいない職場を得た矢先だった。

今後のことで前夫と連絡を取った。
相手が定職に就き、半年以上仕事が続いたら同居を認めるということで、それまでは我が家にいさせて同居は認めないことにした。
娘も1年取れる産休を半年くらいに縮めて職場に復帰して、二人で家計を切り盛りできるように協力しようと思っていた。

産休を取って我が家に里帰りして出産し、産後1ヶ月を過ぎたころ。

適当に昼近くに起きて、私やオットが作る食事を三食食べ、赤ちゃんの面倒だけを適当にする毎日。

赤ちゃんが生まれればちゃんとやるのだろうと思っていたけれど、赤ちゃんの面倒さえもが、だらしない生活が続いていた。

ある日とうとう私がブチキレてお説教をした翌日、全てを持って二女は相手の家に行ってしまっていた。

朝は自分の部屋に居た娘は、いつも通りに昼休みに私が職場から休憩にもどった時は、部屋はもぬけの空だった。
あったのは新聞のチラシの裏に書いた置手紙。

ベビーベットも全てなくなっていた。

相手が車で迎えに来たのだ。
私は無職の相手なんて認めない、絶対に家に入れてはダメ、と言っていたのに、勝手に相手を家に入れたのだ。

まだ定職にも就いていないのに、よくもそんな事ができるのだと。
相手は自分の親と住んでいる。

この地域はまだまだ”家”と長男が大事な地域。
無職の長男でさえも、家継ぎの長男ができたとなれば万々歳。
家出してやって来た嫁と孫を大歓迎で迎えたんだろう。

でも!相手の仕事が半年続くまでは同居は認めないと、両家の親の話し合いがあったのに、ケンカしたから出てきた、と二女を迎え入れる相手の親も親だ。

『出てくるのはいつでも出られる、親とケンカして飛び出しちゃダメだ』とまともな相手や相手の親なら、追い返すんじゃないの?

赤ちゃんは、生まれて黄疸がひどく、入退院していたので多分2週間ぐらいしか我が家にはいなかった。
出産から赤ちゃんの入院中までほぼ毎日病院に行っていた。
家ではお風呂も入れたし、ミルクもあげた。
新生児フェチの私としては、もちろん可愛く、楽しいひと時を過ごした。

けれど、二女のした仕打ちには怒りやるかたなし。
驚くことに娘は出て行って即座にメールアドレスを変更していた。

そして私があげたもの、私が近所から借りたもの、全て持っていっていた。
我が家の鍵も、哺乳瓶ブラシをかける100円ショップで買ったワイヤーネットさえまで持っていったあさましさ。
ここまで裏切って出ていくなら、普通なら全てを捨てて出て行くはず。

こんなことをして出て行くなら鍵は置いていくでしょう。
こちらの恩は全てもらって行くという考えに、腹が立って仕方が無い。

もちろんすべて宅急便で送り返させた。(連絡は長女経由で)
私の息がかかったものを、相手の家で平気で使わせるなんて許せない。

長女に最後のメールを転送してもらった。

許さない、縁を切る。
私の実家にも、私にも二度と連絡をするな。

と。

送り返してきた荷物に手紙が入っていた。

都合の良い言い訳と、こっちの義母と頑張ります。
でも縁は切りたくない。と。。

なんなんだ、この女は。。
最後の最後まで神経を逆撫ですることをヌケヌケと書くなんて。。
こんな厚顔無恥な女の親の顔が見てみたい。

あ、私だ。。(ーー゛)
2009年04月24日

結局

昨年末に、次の桜は無理でしょう、と主治医に言われた通り、私の弟は癌と闘って、3月上旬に亡くなりました。

昨年秋までは普通の生活をしていたし、なんとか癌と共存できるかな、と希望を持っていたのですが。。。

11月の抗がん剤の投与中に頭内出血を起こしてから、12月の末に脳に転移がわかり、骨、骨髄、あらゆるところに癌が次々に転移してしまいました。
癌が発覚してから亡くなるまで約2年10ヶ月。
実質彼が本当に辛くて大変だったのは、亡くなるまでの3ヶ月でした。

最期の最期まで食欲がとてもあり、お昼はいつもお嫁さんや両親が買ってきた美味しいものを食べられたことは、幸せだったと思います。

今までも何度も詳しく病状を書こうと思っていたのですが、ネットが大好きだった弟に、ここに気づかれると、、と思いやめていました。

私は弟と本当に仲が良かったので、まだ気持ちの整理がついていません。
でもそのうち弟のことを書き留めたいと思います。
2008年11月30日

来年も

先日、現5年生の親が集まった。
来年度6年生の親として団を運営するための話し合いで、具体的には団長を含め役員決め等だった。

新団長さんが決まったけれど、新団長さんご夫婦も去年の6年ママグループ派=反我が家派。

ということで、一応我が家も集まりに参加したが、全くの無視状態。

今の団長さんのご主人が、さ来年に6年生がいるMokorin家も役員になった方が、、と言ってくれたが、新団長さんが『いや、△△さんにやってもらいたい』と全く相手にされていなかった。

我が家は仕事が忙しくて何も出来ない、と言うのはわかっているだろうけど、あまりにあからさま。

HP作成の話と、連絡網の一斉発信(メーリングリスト化)について要望を出したけど、渋い顔をしていた。
きっと今年も却下だろうな。

今まで下の学年から1人選出してきた会計も、来年度は6年だけでやるらしい。
結局今年も来年も、自分の子供が6年生の時さえ良ければ、という方針が本当に腹が立つ。

いつも思うけれど、団が、チームが、と言っている割には、一部の保護者の利己に走っていると思うのは私だけなんだろうか?