2012年09月08日

夢で会えるとうれしくて悲しい

この前見た夢。

我が家に来客。
それがなぜかばったりその辺で会った矢野アッコちゃん。
誰がいたかはわからないが、部屋には沢山の人がいた。

みんなで楽しく歓談中に「こんにちは〜」と、弟の嫁ちゃん、そして弟が部屋に入ってきた。
もちろん弟もごく普通に笑って『こんにちは〜!』と

その場にいた一同『\(◎o◎)/???
みんな無言で一斉に弟の足をチェッ〜〜〜〜ク!
まじまじと、そしてさりげなく足を見たが足は普通にあった。

弟夫婦があまりにも普通で、そのままごく自然に話した。
前と全然変わらなくて。

朝起きて思い出して、みんなで一斉に足をチェックした場面に笑えた。

でも通勤途中で夢の中の弟の姿を思いだして、泣けてきた。
今も泣きそう。。
2011年05月20日

誕生日おめでとう

昨日は弟の誕生日。
おめでとう!

生きていたら45歳。
大震災も知らず、大好きだった会社の大変さも知らず。

娘の部活や息子のスポーツの活躍も知らず。

あの日から2年。
2009年06月18日

それは、ほしかった〜!

弟が亡くなって3ヶ月。。。
弟は大量の車やパソコンの部品で一部屋占拠していて、子供たちは自分たちの部屋が持てなかったので、お嫁ちゃんも子供たちも部屋を片付けたいらしい。
亡くなった時はでも何がなんだかわからないし、どーして良いのかわからない、、とお嫁ちゃんは嘆いていた。。

当分片付かないかな、、と思っていた。

最近、かれこれ25年以上も前、MTVがすっごく流行していたころ、弟が洋楽のプロモーションビデオを標準で録画していてまだ持っていたのをふと思い出した。

お嫁ちゃんと最近電話した時に、

「大量のビデオがあったでしょ?あれ譲ってほしいんだけど(*^_^*)」と言うと

「え〜っ、あれ捨てちゃいました〜!!!他のは全然片付かないんですけどぉぉぉ」

がーん!!!
もっと早くに言えば良かった。。。(ToT)
2009年05月21日

いつも

みんなが集まれば、いつも私たちは笑っている。

時々弟の事を想い出してしんみりすることもあるけれど、、

でもみんないつも笑っている。

弟が亡くなった日、弟の亡骸の横で長い時間葬儀の打ち合わせが終わって、じゃまたね、と笑ってそれぞれの帰路についた。
お嫁ちゃんは、また明日もお見舞いに来る気がしていると言っていた。

お通夜やお葬式の時は本当に悲しかった。
でも式が終われば子供たちはいつも通り仲良く楽しく笑って遊んでいた。
大人たちは疲れ、でも日常が待っていて、いつもの生活に戻った。

四十九日、レストランで会食をした。
写真の弟は笑ってる。
ボーイさんに親族一同の写真を撮ってもらった。弟の息子ととうちの二男は笑ってピースしてる。

私が撮ったスナップ写真は子供たち4人すっごく楽しそうに笑っている。
その隣に偶然にも弟の黒縁の写真が。。

大人たちも、楽しい雰囲気で食事した。
レストランの人たちは、写真を見て若い家族を亡くしたのに明るい雰囲気で、きっと驚いていただろうなぁ。。

きっとそんな雰囲気を弟は喜んでいる。

弟に
「ごめんね、悲しい雰囲気じゃなくて、、、」と言ったら、
きっと弟は
「死んだらおしまいさ。いいんだよ、オレのことは気にしなくて。笑っててくれた方が嬉しいじゃん」
と言うと思う。

でもこれ書いてたら、泣けてきた。
2009年04月24日

結局

昨年末に、次の桜は無理でしょう、と主治医に言われた通り、私の弟は癌と闘って、3月上旬に亡くなりました。

昨年秋までは普通の生活をしていたし、なんとか癌と共存できるかな、と希望を持っていたのですが。。。

11月の抗がん剤の投与中に頭内出血を起こしてから、12月の末に脳に転移がわかり、骨、骨髄、あらゆるところに癌が次々に転移してしまいました。
癌が発覚してから亡くなるまで約2年10ヶ月。
実質彼が本当に辛くて大変だったのは、亡くなるまでの3ヶ月でした。

最期の最期まで食欲がとてもあり、お昼はいつもお嫁さんや両親が買ってきた美味しいものを食べられたことは、幸せだったと思います。

今までも何度も詳しく病状を書こうと思っていたのですが、ネットが大好きだった弟に、ここに気づかれると、、と思いやめていました。

私は弟と本当に仲が良かったので、まだ気持ちの整理がついていません。
でもそのうち弟のことを書き留めたいと思います。
2008年01月30日

その後の弟

その後弟は、ちょうど治療の合間だから、と11月に快気祝いをしてくれた。

でもね、、その後また数値が上がったとかで12月上旬にPETという検査をした。
PETは高額とは知ってたけど、治療中の患者も自費で10万?(あれ14万だっけ?)かかったと聞いてビックリ!!

検査の結果、肺に転移が見つかって、ベットの空きを待って最近手術をしました。

お正月は皆で実家に集まりました。
弟は見るからに健康体そのものです。

そして肝臓の方にも再発があって、再入院するらしい。

今入院中の弟から病状報告のメールが来る。

入院中は考える時間が沢山あって困る。
運動不足なので寝付けない。

そうだろうね。
色々考えちゃうよね。
2007年09月23日

再発

弟から電話があった。

再発した。

って。

え?!7月下旬に退院したばっかりだよね。
会社に復帰して半月だよね。。

いくら再発は必ずあると言われてたけど、今回は『再発』というより、『取り残し』じゃないの?

って聞いたら、退院後の数回の検査ではマーカーの数値が下がってたけど、今回の検査で上がって、また小さいのが出来ていたので、『再発』だと。。。

また入院だそう。
それも、弟の子供たちの運動会の前日に。

ガンバレ、弟!そして弟家族!
2007年09月04日

ガンになってもすぐには

弟がガンとわかって、すごく親しい幼ななじみの友人に電話をした。
彼女もうちの弟を知っている。

弟のガンは『発見された時には手遅れに近いことが多い』、、なんて解説されているし、弟のは大きさも半端じゃなく大きかったので、私はかなり落ち込んでいた。

だって、発見された時には手遅れで3ヶ月で亡くなった、、とかよくきくから。。きっと弟も。。。と。

電話する時はすっかり忘れていたが、彼女はとある病院の医療事務をしている。

その彼女が、
『うちの病院にもがんの人が沢山いるけど、がんが見つかってすぐ死ぬ人はいないよ。私も毎日がんの人見てるから、慣れちゃった〜。すぐ亡くなる人って本当にめったにないから、気を楽にして(*^_^*)』

と言われた。
その時は、彼女の話は耳に入らなかったけど、今になって思えば、本当にそうだ。。と思う。

でも、弟は元気になったけど、よく考えたら発見からまだ丸3ヶ月も経っていない。
この先どうなるのかな。。

弟のその後

7月上旬に手術、2週間後の7月下旬に退院しました。

その頃はまだ体力が無いし、痛いし、普通の生活はまだまだ、と言った感じでした。

が、8月半ばに電話をすると、もう買い物にも行ってるし、車も運転もしているし、ちょっと痛む時もあるけれど普通には生活は出来る。
と言ってました。

体力はやはりなくなっているけれど、お盆明けには仕事の復帰も近いと言っていました。

弟の病気ですご〜く密だった弟や実家との関係も落ち着いて、殆ど連絡を取らなくなりました。
私も時々しか弟の病気のことを思い出しません。

しかし、お医者様は弟の転移は必ずある、今後はそれを早く見つけてつぶすだけ、、とおっしゃっているそうです。

きっと、弟はいつも転移との恐怖の影を感じながら生きているんでしょうね。
2007年07月17日

お見舞い

弟のお見舞いに行ってきました。

術後12日。
抜糸も終わり、元気になったので来て下さいということで、安心して行きました。

面会ルームにオットと子供を残し私だけが病室へ。
6人部屋の弟のベットの前で声をかけて、カーテンの中に入ると起きて横になった弟がいた。

元気そうだった。

面会ルームに行くから、と起き上がる弟。
リモコンでベッドを起こし、足元の柵にしばった長い紐を頼りに、ゆっくりと体をベッドから離して体の向きを変えた。

\(◎o◎)/!元気になった、というから痛みは消えてある程度普通に生活出来てるのかと思っていた私はちょっとショックでした。
息もできないほどの激痛は手術3、4日で、まだまだ痛いそう。

面会ルームまでもそろそろと歩いていた。
その後姿もすごく痩せた。
ちょっと太めだったから、背中の肉が取れてカッコ良くなっていたけど。。

ソファには座れないからと腰掛椅子に座っていた。

まだ痛いの?と聞くと、『どの動作をすると、ピキッって痛くなるかわからないので、体を動かすのにも細心の注意をしている』と。
今すぐ退院していいよ、と言われたら電車で帰れる?と聞くと、体力や筋力が落ちてるからかなり無理がある。

とにかく腹筋が使えないから大変。
トイレに行くのも筋力が落ちてて、最近まで用を足す間、足がプルプル震えてた(^_^;)と。
日常生活に腹筋を何気なく使っていたか、よくわかったと。

一番困ることは?と聞くと、ベッドの寝起き。
リモコンでリクライニングできるけど、一番起きた状態が75度ぐらいで、そこから座るには腹筋を使わなければならないから大変。
ベッドのリクライニングの角度を90度までにして欲しいといっていた。

母の入院の時は、点滴の柱を支えに廊下を歩いている手術後の患者さんがたくさんいた。
弟の病棟では歩いている人をみかけない。
弟曰く、母は大腸がんで手術後に癒着するから歩かないといけない。
弟の病棟は肝臓の病気の手術の方ばかりなので歩く必要は無いということでした。

やはり、弟の入院している科の中では、弟が一番若いそう。

手術の傷を見せてくれたけど、思ったよりはすごくなかった。
それより、またまた人間の回復力、そして手術を考えた人達ってすごいなぁと感心しました。

仕事に復帰できるのはいつぐらいを予想する?と聞くと、体力が落ちてるから9月ぐらいになるかも。。と言ってました。
まだまだかかりそうですが、冬にはまた家族でスキーに行けると良いねと言い、30分ほどで帰りました。






2007年07月10日

術後の痛み

先週の水曜日に手術した弟。

8時半に開始して13時過ぎにガンを取り終わり、手術が終わったのは15時過ぎだったとのこと。

大きなガンを1個と小さなものを1つ取って、小さなものはガンなのか、病理検査に出すとのことでした。

翌日にはICUから一般病棟に移ったそう。
それまでは強い麻酔をしていたそうで、弟も無事手術が終わりホッとした感じだったそう。

それが、背骨からの麻酔を外すとかなり痛い様子で、その週末に我が家が行く予定のお見舞いは遠慮して欲しいと連絡がきた。

それから約1週間、自分でトイレは行けるようだが、まだかなり痛いらしい。

来週の海の日には手術後初めてお見舞いに行こうかと思う。
2007年07月04日

余命3ヶ月

母の大腸がんの手術の時は、手術の前の段階でステージいくつ、と説明があった。

しかし弟は聞いてないらしい。
手術後に聞くのか。。。説明があるのか。。

良い医師団との評判だけれど、母の病院よりなんだか説明も足りないし、手術の説明もギリギリで、どうもその辺が頼りないというか、信頼性に欠ける気がする。

ただ、弟は聞いていたらしい。
このまま手術をしない場合の余命を。

『3ヶ月』

実感が全くわかない。

けれど手術をすれば延命も出来るし、完治も?と言われたそう。
でも、、延命。。。って。
どの程度を延命って言うんだろうか。
30年というのも延命なのか、例えば5年生存率に対してなのか。。

手術前の昨日、熱が出ていたらしい。
もし熱が下がらなければ手術は出来ない。今回手術を逃すと、手術の機会を失うかも。。。

と言われたそう。

でも、さっき父に電話したら無事手術は始まっているそうだ。
良かった。

今日は手術

今日は弟の手術の日。

大体6〜7時間かかり、50針ほど縫うそうだ。
本人は手術事体より、術後の痛みを心配している。
相当痛いのだとか。。
3日間はICUに入るそうだ。

私は開けてみて状態が悪かった、、、それを心配している。

昨日の担当医からの家族への説明も、今日の手術も行こうかどうしようか迷ったが、弟も来なくて良いと言うし、弟嫁と両親が行くと言うので、そう大勢で行ってもと思い、結局行かなかった。

でも、父と弟の言う事が違う。
肝臓の30%を取るか、それとも30%を残して取るのか、、どっちだ。。

意外にお医者さん任せなところが非常にもどかしい。

が、本人たちがそれで良いならしゃしゃり出る必要もないのか、それとも本人たちの気付かないところを気付いてあげるべきか。。

もうすでに手術は始まっている。
神様にお祈りするしかない。
2007年06月22日

母よ、ヤキモチやかないで

昨日の弟のお見舞いには、渋谷東急でゼリーを買って行った。
てっきり”さっぱり献立”かと思ったし、実際に食欲もないらしい。

渋谷で普通の安いゼリーを売っているスーパーもコンビニも見つからないし、さぞかし具合が悪いらしいので、フルーツ満載の見た目に美しく、食をそそる1個399円の高いゼリーを買った。

母もお見舞いに来ていたので、弟と母と一緒に食べた。

あー、多分言われるだろうなぁと思ったら、やっぱり母に
『随分高いの買ったわねぇ〜』と、とて〜も皮肉っぽく言った。

そりゃ、お母さんの入院の時は安いのやら手ぶらだったわよ。
だって、高いの食べたかければ、お父さんに言って買って来てもらえるじゃない。
それに、お母さんのがんは検診で見つかった、初期+αの状態でそんなに心配な状態じゃなかったよね。

私はお母さんより、弟の方が大変で頑張ってほしいと思ってるのよっ!

て心の中で言い訳した。

しかし、母の中には弟には高いのを買ったという事だけがインプットされたようだ。

母よ、お願いだから弟にヤキモチを焼かないで!

やっぱり痛そうだ。

弟の病院には入院した18日と昨日お見舞いに行った。

入院した日は弟は『こんなに元気で痛みもなくて反対に怖い。。』って言っていた。

お嫁さんはもちろん毎日行っていて、うちの両親も殆ど毎日行っているようだ。お嫁さんは迷惑じゃないのかなぁ。。

弟は19日(火)に足の付け根からカテーテルで検査と治療をしたそうだ。
結局1時間というところが、3時間かかったとのこと。
終わってもずっと寝ていて話もせずに面会時間が終わってしまったとのことで、皆心配した。

翌日は高熱と痛みがひどくて、鎮痛剤のおかげで寝てばかりだったそうです。

でも、昨日(木)行った時には点滴を押しながら?スタスタトイレにも行ってたし、熱も微熱になったし、痛みもかなり減ったそうです。
私の持って行ったゼリーもちゃんと食べてました。

でも、なぜか肩が痛いと言っていたし、目も黄色くなってて心配です。
やっぱり肝機能が落ちてるせいかな?と本人は言ってました。

でも驚いたことに食事は、なんとずっと平常食で、メニュー見るとカレーうどんなんて日もありました。
だいじょうぶなのぉ?

弟に日記とか書いたら?って言ったら
面倒くせー と言われてしまいました。

検査して何か言われた?って聞いたら、『あ、半分にはガンはないですね〜』って言われた。って。言い忘れてたよ。って。

左も右にもガンが出来ると手術は出来ないそう。
うまくいけば来月はじめには手術かな。
”大きかったけど、場所も状態も良かった!”という状態だったらいいのにと祈る毎日です。
2007年06月15日

今度は弟が

先週の週末に実家の母から大変な事が起こった。

と、電話があった。

『○○(私の弟)ががんになった』

病名は肝臓がん、痛みの自覚症状で病院に行ったら、8cmあったそうだ。

近所の病院から紹介状を書いてもらい、とある大きな病院に行った。

診察した後、先生は開口一番に『かなり危険な状態』と。
そして、近所の病院に行った時より、さらに1センチも大きくなっていたそう。

普通なら後日に再予約をとってするはずの、CT検査や他の検査も当日やったそう。
そして、入院も土日含んで3日後。

肝臓はとても大人しい臓器で、痛みが出たらすでに良くない状態だ、とどのサイトにも書いてある。

弟はまだ40代になったばかり、下の子どもも小学校に入ったばかりだ。

実家の両親は、母自身が大腸がんの病後がとても良いので、そんなものだと思っているらしい。
おまえは悪い方向にばかり考えると、反対にいなされてしまった。

多分長期戦になりそうな気配がする。
弟と弟家族よ、頑張って。。。。。
そう言うしかないよね。。



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